健介オフィス バトル ヒストリー
- 2003.12
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Declare Free-lance
フリーランスとして活動していくことを宣言
新日本プロレスのトップファイターである佐々木健介は、WJプロレスに移籍したものの、2003年暮れ、同団体を退団。
フリーランスとして活動していくことを宣言。
この時、元女子プロレスラーであり主婦業に専念していた北斗晶も、マネージャーとして健介を支えていくことを決意した。
- 2004.01
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“New Birth KENSUKE”&“SHOGUNKENSUKE”
“新生健介”&“将軍KENSUKE”
2004年1月、健介は古巣の新日本東京ドーム大会に乗り込み、永田裕志を相手に壮絶な流血戦を演じた。
この試合での大ヒールぶりは、強さを追求するストロングスタイルのみにこだわっていた昔の自分をかなぐり捨てて、がむしゃらに必死に生きていこうとする“新生健介”の覚悟を見せつけるものだった。
直後には、ハワイで“将軍”KENSUKEに変身し、HCW王座を強奪。
- 2004.02
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New Challenge
プロレスラーとしての新たなチャレンジ
2月には闘龍門に初登場。
フロリダ・ブラザーズと対戦したが、そこではこれまでに見せたことのないコミカルな姿を披露し、プロレスラーとして殻を破り、完全に吹っ切れたことをアピールした。
その後も、DDTでピンクのスパッツを履いて、自らの“そっくりさん”健心と組んだり、みちのくプロレスでマスクド・ボルケーノなるマスクマンに変身するなど、新たなチャレンジをして、プロレスラーとしての幅の広さを見せ続けた。
- 2004.03
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The Fourth IWGP Champion
通算4度目のIWGP王者
新しい一面を披露する半面、本来のストロングな魅力も全開。
3月には、ハワイで開発した新必殺技ボルケーノ・イラプションで天山広吉を破り、通算4度目のIWGP王者に返り咲いた。
同王座は直後にボブ・サップに奪われたものの、試合では格闘家のサップにプロレスの怖さを叩き込むことに成功した。 - History Top
- 2004.04
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“Supernova NAKAJIMA”
“超新星中島勝彦”健介ファミリー加入
4月には、元WJの期待の新人で、3月に同団体を退団したばかりの中嶋勝彦が、健介ファミリーに加わった。
ファミリー入りした中嶋は、いきなりグレート・サスケからシングルで大金星をあげ、16歳ながらプロレス界期待の“超新星”ぶりをアピールした。
- 2004.08
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Sublime Desperate Fight
高山善廣と壮絶な死闘
春以降も健介の勢いは衰えず、新日本の夏の本場所G1では、高山善廣と壮絶な死闘を展開。(この試合直後、高山は脳血栓のため入院、2年間の欠場となった。)
みちのくでは中嶋と組んで、東北タッグ王座を奪取。
- 2004.10
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The first confrontation of wish
三沢との夢の初対決
10月、健介は藤田和之に勝ち再びIWGP王座を獲ったものの、不可解な結末に激怒。
北斗も新日本と草間社長に怒りをぶつけた。
直後、武藤20周年記念試合で馳浩と組み、武藤敬司&三沢光晴と激突。三沢との夢の初対決を果たした。さらに新日本両国で棚橋弘至と好勝負を繰り広げ、晴れて北斗の手でIWGPベルトを巻いてもらった。
- 2004.12
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KENSUKE & HOKUTO Power
夫婦の力
健介の勢いは12月になっても止まらず、全日本での健介ファミリーvsROD5対5イリミネーションマッチでは、ついに北斗がコスチューム姿で試合に出場。夫婦の力で勝利を奪った。
- History Top
- 2004.12
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Professional Wrestling Grand Prize“MVP”
プロレス大賞“MVP”
DRAGONGATEのリングでは、ケンスキー佐々木(フロリダブラザーズの一員としての姿)が敗者髪切りマッチ敗北の責任を取り、丸坊主になった。
また健介は、1年間のはじけっぷりにふさわしく、年末のプロレス大賞ではMVPに選ばれた。(中嶋は新人賞、北斗は話題賞と健介ファミリーが賞を独占)。
- 2005.04
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Champion Carnival Victory
チャンピオン・カーニバル初優勝
2005年、健介はさらに栄冠をつかむ。
4月、全日本の“春の本場所”チャンピオン・カーニバルで、ジャマールを破って初優勝。歴史ある巨大なトロフィーを抱きしめた。
- 2005.07
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Dream Man-to-Man Fight
小橋建太との夢の一騎打ちが実現
7月、健介はついに待望のNOAH登場。
東京ドームでいきなり小橋建太との夢の一騎打ちが実現した。試合は、お互い何百発ものチョップを打ち合う究極の真っ向勝負となった。試合後、両者ともに胸を紫に腫らした凄絶な死闘は、いまや伝説と化している。
- 2005.09
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The Period.
WJ時代以来の因縁にピリオドを打った
直後には、全日本で中嶋と組んで、日本最古のベルトであるアジアタッグ王座を奪取。
さらに、W-1のリングで長州力に完勝、WJ時代以来の因縁にピリオドを打った。
また、全日本マットでは、元横綱・曙の巨体をバックドロップで見事投げ飛ばし、ファンを驚かせた。 - History Top
- 2005.12
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KENSUKE OFFICE Establishment
「株式会社健介オフィス」設立。
12月には、「株式会社健介オフィス」設立。
ジャパン・プロレス時代からの健介の師匠であるマサ斎藤を選手アドバイザーとして招いた。
年末のプロレス大賞では、ベストバウト賞(小橋戦)を獲得。中嶋も敢闘賞をものにした。
- 2006.02
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The First Performance
健介ファミリー初興行
2006年2月11日、健介ファミリーは初興行に臨んだ。
「佐々木健介デビュー20周年イベント」と題された大会では、健介&小橋vs天龍源一郎&中嶋が実現。健介&小橋のドリームタッグ結成、健介と中嶋の初の師弟対決などが話題を呼んだ。
- 2006.07
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Fulfilling Life "KATSUHIKO"
充実の勝彦
健介との対戦でたくましさを見せた中嶋は、春には定時制高校に合格、学生生活がスタートした。
中嶋はリング外だけでなくリング上も充実。
7月、全日本のジュニアヘビー級リーグ優勝戦で、カズ・ハヤシと好勝負を繰り広げ(結果:準優勝)、その後の全日本ジュニアの盛り上がりの立役者となった。
- 2006.07
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Fighting Spiritsof All-Out
友情を胸に懸命のファイト
7月,NOAH武道館で高山の復帰戦(小橋&高山vs三沢&秋山)が組まれたが、直前に小橋が腎臓がんのため欠場を余儀なくされたため、健介は急きょ、小橋の代打出場を果たす。
しかし、健介もまた直前の柴田勝頼戦(ビッグマウスラウド)で右眼窩底骨折に見舞われ、ケガをひた隠しにしたまま、小橋、高山との友情を胸に、懸命のファイトを見せた。試合後、健介はすぐに手術に臨み、以後、試合を欠場することになった。 - History Top
- 2006.08
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KENSUKE OFFICE Gym & Great Tag Team“HASEKEN”
友情を胸に懸命のファイト
8月、待望の健介オフィス道場が完成。
また、全日本両国で、ジャパン・プロレス時代以来の盟友である馳の引退試合がおこなわれたが、欠場中の健介は自らも試合に飛び入り参加。名タッグチーム“ハセケン”の女房役の引退に華を添えた。
- 2006.11
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Rookie“RYUJIYAMAGUCHI”
新人、山口竜志入団
11月、馳の推薦による新人、山口竜志の入団を発表。
- 2007.01
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KENSUKE Comeback
健介復帰
2007年1月2日、健介が全日本のリングでついに復帰。
健介ファミリーは、“プロレス団体”として、さらなる飛躍を目指す。